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Sunday, June 19, 2005

小泉現首相が総裁戦に立候補したときの思いでとプラカードのスタイルを「絵」として比較して

先のエントリにプラカードを掲げたスタイルがうんぬんといったことを少し書いたのだけれど、その間に昔小泉首相(当時総裁候補)が自民党の総裁選挙に立候補した時(田中眞紀子が応援していたあれですよ、ええ)の渋谷ハチ公前での演説の様子を思いだしたのでそれと19日の集会の様子を独断と偏見-そして少し文体を変えて比較したいと思う。だだ、これは参加者を非難したり、バカにしているようなものでは決してないし、解決策も出していないし、あくまで特に運動に積極的に参加もしていない傍観者の筆者からの視点だということは断っておきたい(絶対に絶対に)。

2001年の総裁選の演説の時自分はニュースで見たのではなくたまたまビデオカメラを持っている時に遭遇できたので、電話ボックスのあたりの何かに登って上から撮っていた(ビデオテープはどっかに無くした気がする)。

ファインダーを覗いて最初に驚いたのが小泉首相(当時総裁候補)と田中真木子(当時衆議院議員)が選挙カーに上って演説している回りを6重ぐらいに囲んだ動員されたと思われる支持者がいて、そしてその外側にTVカメラがあり、その結果渋谷ハチ公駅前の歩行スペースが3分の1ぐらいしかなくなり-実はあのカメラの後ろをぎゅうぎゅう詰めになって必死で普通の人達が歩いていたことだった!実際そこら中でおばさんや子供がつぶされそうになっていて、群衆の中に波(密度変化の伝搬による縦波)が発生し将棋倒し寸前の状態だったのだ。不謹慎にも授業で習った縦波ってこのことだったのかと思ったものである(失礼)。

演説が始まると、小泉首相(当時総裁候補)と田中真木子(当時衆議院議員)を6重ぐらいに囲んだ支持者が定期的に「ワー」っと手を振って応えて、それを後ろからテレビカメラが撮り続けていた。さらに外側から撮ったカメラはものすごい群衆にかこまれた(ように見える)小泉現首相をとらえていたことだろう。実際は6重ぐらいに囲んだ支持者以外は必死で押し潰されないように駅へ向かっていたのだけれど。

いつ将棋倒しが起きてもおかしくない状況をつくりだし、歩行者に著しい迷惑をかけたことはさておき、私はこの「絵」の作り方はみごとだったと思っている。実際夜のNHKや他局のニュースでは東京の中心部で大勢の群衆を前に演説する小泉首相(当時総裁候補)の「絵」が何度となくながされていた。

以下プラカードを持った昔ながらのスタイルと小泉現首相の総裁選の時のスタイルを比較してみたいと思う。

今思うと小泉首相は徹底して「絵」をつくることにこだわっていた。小泉(当時総裁候補)をカメラで撮ると(カメラが入るすき間を与えず)6、7重に演説者をとり囲んだ支持者によって多くの人に熱狂的に支持されているように見え、カメラマンが一般人の顔を撮ろうと後ろを振り替ると、人混み(歩道の混雑によって生まれているにもかかわらず)の中にまばらに立つ動員された支持者でない「普通のおばちゃん」が撮れるようになっていた。

この方法に対してオールドスクールとも言える従来のプラカードを持ったスタイルはこうだ。演説者の前に間を置いてカメラマンや人が入れる(or通れる)ようにし(特定の支持者でなく通行人に聞かせたいのだから当然だ)、その回りにプラカードを持った人達が通行人にアピールするためトランプの兵隊よろしく並んでいるという構図なのだ。お分かりだろうか、これでは絶対に群衆に囲まれた講演者という「絵」は撮れないのだ。カメラマンは常に前へ前へ行こうとするものなのでこれから生まれる映像は、通り過ぎて行く通行人の前でむなしく演説を続ける演説者。そしてカメラマンが後ろを振り返った時に写すのはプラカードを掲げた一部の支持者ばかりというわけだ。

また、小泉首相(当時総裁候補)のときの支持者はプラカードを持っていなかった。彼らははなっから誰かに訴えかけるなんて気持は無かった。とにかくただワーって手を振ればそれが群衆が支持しているかのような「絵」になったのだから。

自分は小泉首相がやったような方法が良かったとは必ずしも思ってはいない。でもあの状況でのメディア戦略としてはおそらくパーフェクトだった。それに対してプラカードを持った市民運動スタイルはどうだろう。確かに問題の存在自体を誰も知らなければ通行人に訴えかけるしかないかもしれない。でも誰も知らない問題を必死で訴えかける演説者と、その人を熱狂的に支持するごく一部の支援者という構図は感動大作の映画には良くても、夜7時のニュースにするには最悪なのではないだろうか。それにこの構図はあまりにサヨク的だ。

ここ数年組織力のある団体ばかり発言力が増して一般市民の政治離れが進んでいるのは市民側に特定団体より「絵」を作りだし映像で流する能力に著しく欠けるからではないだろうか。


...と、ここまで書いておきながら実の所自分にはこの状況を改善する案がさっぱりない。小泉首相と同じ方法を用いてもそこまでの動員力は市民運動(2ch含む)には無いだろうし、だいたい「絵」を作ってもニュースで流れなければ全く意味がない。おまけに差別主義者が熱狂的に集会を開いている様子にも見られかねない。どうしよう、といった感じだ。

でもとにかく考えてみる価値はあるのではないだろうか。小泉首相がやった方法だって一夜にして出現したわけではないだろうし、この問題について熱心に考えていけば彼らよりもっとインパクトのある「絵」をつくり出して、なおかつ一般市民に問題を知らせるような方法もあるのではないかと思うのだが...どうなのでしょう。

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